サービス業を見ていてよく思うことがある。

不満が多い人ほど、期待値が高い。

3,000円の居酒屋に、高級料亭レベルの接客を求める。保険診療のクリニックに、ホテルのコンシェルジュのような対応を求める。

支払っている金額と受けられるサービスには、当然ながら相場がある。その相場から自分の期待値が離れれば離れるほど、体験は不満になる。サービスの質が低いのではなく、期待値の設定のほうがずれている、というケースは意外と多い。

期待値が現実から離れるほど、人は不幸になる。これはサービスに限らず、たいていのことに当てはまる。

ただし、提供側がこれを言い出したら終わり

ここで話を止めると、単なる客への愚痴になるので、先に釘を刺しておく。

この理屈は、提供する側が使い始めた瞬間に毒になる。

「あのお客さんは期待値がおかしい」と言えるようになると、あらゆる不満を処理できてしまう。本当は自分たちのオペレーションが雑だったのかもしれない。説明が足りなかったのかもしれない。それを全部「相手の期待値の問題」に流し込めば、改善しなくて済む。

不満の中には、単純にこちらが間違っているものが確実に混ざっている。そして厄介なことに、その2つは見た目では区別がつかない。だから僕は、「期待値が高すぎる人」という分類を、自分の側の言い訳として使わないように気をつけている。

そのうえで、社会全体の構造としては、やはりおかしなことが起きていると思う。

日本の接客は、異常値に近い

日本のサービス業は、価格に対して提供品質が高すぎる。

コンビニでも、飲食店でも、病院でも。海外に行くとよくわかるが、今の日本の接客レベルは、世界の相場から見て異常値に近い。

数百円の買い物で丁寧な挨拶がある。数千円の食事で、水を切らさないよう気を配られる。同じ価格帯で同じことが起きる国は、そう多くない。

これは誇るべきことだ、とよく言われる。実際、素晴らしい面はたくさんある。

でも、その結果として何が起きたか。

利用者はそれが当たり前になり、働く人は疲弊した。

品質が上がったぶん価格も上がったのなら、話は単純だ。ところが日本では、価格はほとんど据え置きのまま品質だけが上がってきた。この差額は消えたわけではない。どこかが負担している。

負担しているのは、現場で働く人の労働時間と感情だ。

サービスは本来、価格との交換だ。高い品質を求めるのは自由だし、そのぶん払うなら何も問題はない。ただ、そのコストを誰が負担しているのかは、一度考えたほうがいい。

安さと最高品質を同時に求める社会は、どこかで必ず歪む。歪みが出る場所は、たいてい一番立場の弱いところだ。

医療は、その構造の極北にある

この話をするとき、医療はかなり特殊な例として使える。

なぜなら、医療機関は自分で価格を決められないからだ。

保険診療の値段は公定価格で決まっている。同じ処置なら、どの医療機関でも同じ点数だ。サービス品質を上げても、価格に転嫁する手段がない。「うちは丁寧に説明するので少し高くします」ということが、原理的にできない。

そして、その公定価格は長年かけて下がってきた。一昔前の内科クリニックは1日10人も診なければ採算が合ったと言われるが、今は30人程度診てようやく損益分岐点を超える。

価格を上げられず、単価が下がり、それでも品質への期待だけが上がり続ける。この3つが同時に起きているのが、今の日本の医療だ。

すると何が起きるか。1人あたりに使える時間を削るしかなくなる。医師を1秒も休ませない稼働率で回し、そこで生じたしわ寄せは待ち時間として患者に押し付けられる。誰も悪意を持っていないのに、そうなる。

「安くて、すぐ診てもらえて、丁寧」を全部同時に成立させることはできない。どれかは必ず犠牲になっている。日本の場合、犠牲になっているのは待ち時間と、現場の労働環境だ。

期待値は、利用者に直させるものではない

じゃあどうするのか。

「利用者の期待値が高すぎるので、下げてもらいましょう」というのは、たぶん一生実現しない。人の期待値は説教では動かない。

僕がやるべきだと思っているのは、提供する側が、期待値を設計することだ。

うちのクリニックは、そういう作りにしている。待合室は最小限しかない。キャッシュレスを基本にしている。日常的な、いわば「いつもの」受診に強い設計にしていて、ここでできない検査や治療が必要な場合は、設備の整った病院に紹介する。

これらは全部「できないこと」の宣言でもある。何でもやります、とは言っていない。

何を提供して何を提供しないかを先に開示しておけば、来る前に期待値が合う。合わない人は最初から別の選択肢を選べる。これは不親切ではなく、むしろお互いにとって誠実なやり方だと思っている。

サービスの品質を上げることと、期待値を無限に受け止めることは、別のことだ。前者は仕事だが、後者は消耗でしかない。

僕は、うちで働く人が消耗する形で品質を出すことを、良いこととは思わない。それは持続しないし、持続しないものは最終的に利用者にとっても損になる。

高い品質には、それを支える誰かがいる。その誰かが無限に耐えられる前提で組まれた仕組みは、いつか必ず壊れる。