タクシーに乗って「これは無理だな」と思う瞬間がある。

道がわからない。車内がタバコ臭い。

接客業として、というより有料のサービスとして、致命的な部類だと思う。それなのに、普通に存在している。

どの職業にも「最低限のプロの基準」があるはずで、そこに達していない人が一定数いるという現実に、正直なところ疲れる。

でも、これは個人の話じゃない

とはいえ、これを「そういう人がいる」で終わらせるのは、たぶん間違っている。

前に、日本のサービス業は価格に対して品質が高すぎる、という話を書いた。コンビニでも飲食店でも、世界の相場から見れば異常値に近い。それが当たり前になって、働く人が疲弊している、と。

だとすると、おかしいことになる。同じ国の、同じ社会で、なぜタクシーだけ体験のばらつきがこんなに大きいのか。

日本人が親切だから品質が高い、という説明では、この差を説明できない。

説明できるものがあるとすれば、競争と選択だと思う。

品質は、善意ではなく構造から出る

コンビニも飲食店も、利用者が選べる。隣に別の店がある。まずければ次から行かない。その積み重ねが、基準を押し上げていく。

タクシーはどうか。

流しで拾う場合、乗る車を選べない。乗ってから当たり外れがわかる。降りるまで逃げられない。そして、その体験がどこにも記録されない。次に同じ運転手を避けることもできない。

つまり、利用者の評価が事業者に届く経路がない

この状態では、丁寧にやる人も、そうでない人も、受け取るものが変わらない。だとすれば、基準を保っているのは各人の職業意識だけということになる。

そして、職業意識だけで品質が保たれる仕組みは、必ずばらつく。人間はそういうふうにできていない。良い人と悪い人がいるという話ではなく、フィードバックのないところに品質は宿らないという話だ。

だから僕は、これを個人の資質の問題ではなく、構造の問題だと考えている。

だからライドシェアには賛成している

その意味で、僕はライドシェアの解禁に賛成の立場だ。

利用者が事前に選べて、評価が残り、次の選択に反映される。それだけで、基準は自然に上がっていく。誰かの意識を変えようとしなくても、仕組みが変える。

もちろん反対意見があるのは知っている。安全性の担保、事故時の責任、既存事業者の雇用。どれも軽い論点ではないし、無条件に何でも解禁しろと言うつもりもない。

それでも、選べないまま品質だけ上がることを期待するのは、無理があると思っている。淘汰される仕組みがない業界は、変わらない。少なくとも、変わる速度が遅すぎる。

ここで、自分に返ってくる

……という話を書いていると、当然、こちらに刃が返ってくる。

医療はどうなんだ。

正直に書くと、医療は「競争が働きにくい業界」の代表格だ。

価格は公定価格で決まっていて、どこにかかっても同じ点数だ。参入には免許と許認可が要る。急いでいるとき、具合が悪いとき、人は近い医療機関に行く。じっくり比較検討する余裕はない。専門的な内容なので、受けた医療の質を利用者が正確に評価するのも難しい。

つまり、僕が今タクシーについて指摘した条件を、医療はかなり満たしてしまっている。

選べない。評価が届かない。基準を保っているのは、多くの場合、個々の医療者の職業意識だ。

そして僕は、その守られた側にいる。

選ばれる前提で設計する

だから、少なくとも自分たちについては、「選ばれる前提」で作るようにしている。

うちのクリニックが何を提供して何を提供しないかを先に開示するのも、体験を測ろうとするのも、突き詰めれば同じことだ。評価が届く経路を、自分で作りにいくという話でしかない。

制度がフィードバックをくれないなら、自分で仕込むしかない。待ち時間を記録する。体験について尋ねる。不満を言いやすい導線を作る。どれも面倒だし、耳の痛いことも返ってくる。

でも、耳の痛いことが返ってこない環境は、快適だが必ず緩む。自分がそうならない保証はどこにもない。むしろ、公定価格に守られている以上、放っておけば緩む方向に力が働いている。

タクシーの話をしているとき、僕は明らかに利用者の側に立っていた。でも自分の仕事では、評価されない側の椅子に座っている。その椅子の座り心地の良さを、忘れないようにしたいと思っている。

淘汰される仕組みがない業界は、変わらない。それは、僕の業界の話でもある。