僕はふだん、かなり効率に寄った生活をしている。

ミーティングはオンライン。診療もオンラインで完結するものがある。予約は全部Webで済ませる。忙しい日は、食事すら完全栄養食で終わらせることがある。

効率、合理性、テクノロジー。ずっとそれを信じてきたし、実際それで仕事を回してきた。仕事の内容自体が、医療から無駄を削ることだったりする。

でもここ最近、はっきりと逆のものに惹かれている。

目を見て話すこと。何の結論も出ない会話。時間を、明確な目的なしに使うこと。

速いのに、楽しくない

きっかけらしいものはいくつかある。

ひとつは、AIと仕事をしていて感じたことだ。速い。正確だ。何度やり直させても嫌な顔をしない。仕事は明らかに進む。

なのに、まったく楽しくない。

もうひとつは、もっと間抜けな話で、ひとりで焼き鳥を食べていたときのことだ。うまいし、誰にも気を使わなくていいし、効率という意味では最高だった。それでも、やっぱり食事は誰かとしたほうが楽しいと思った。

この2つは、たぶん同じことを言っている。

削った時間を、何に使うのか

ここで整理しておきたいことがある。

僕は「効率化が間違っていた」とは思っていない。今も、医療の無駄を削る仕事をしている。待ち時間を減らすこと、同じ説明を何度もさせないこと、紙とスキャナを往復させないこと。これらは全部やるべきだと思っている。

ただ、削っているのは「待たされる時間」であって、「人と過ごす時間」ではない

効率化の目的は、時間を余らせることだ。そして本当の問題は、余った時間に何を置くかのほうにある。

前に、AIが仕事を引き受けるようになれば、人を雇うことは効率のためではなく余白になる、という話を書いた。あのとき、余白に何を置くかを決めていないと、余白は生まれずにただ人数が減るだけだ、とも書いた。

同じことが、自分の生活にも当てはまっていた。効率化はしたが、空いた分をまた効率のいいことで埋めていた。それでは何も余っていない。

なぜスナックだったのか

そういうことを考えていて、人と人がちゃんと関われる場所を作ろうと思った。

参考にしたのは、古き良きスナック文化だ。

スナックの何がすごいかというと、用事がなくても行っていいことだと思う。

たいていの場所には目的がいる。食事をする、買い物をする、打ち合わせをする。でもスナックには、特に用のない人が来る。目的のない会話が成立する場所は、今の日本にそう多くない。

そして、そこで交わされる会話は、ほとんどが後に残らない。仕事の役にも立たない。効率で測れば、完全に無駄だ。

その無駄が、たぶん必要なのだと思う。

1年前に仲間たちと、小さなバーを作った。細々と、長く続けるつもりでやっている。

プレオープンの夜

プレオープンには、40人ほど来てくれた。

正直、そんなに来ると思っていなかった。そして、その夜の空気を見ていて思った。ああ、人はやっぱりこういう時間を必要としているんだな、と。

効率の反対側に、人間らしさが宿っている──と書くと少しきれいすぎるので、もう少し正確に言い直したい。

効率化は、人間らしい時間を作るための手段だったはずだ。それ自体が目的になった瞬間に、手段と目的が入れ替わる。僕はしばらく、入れ替わっていたのだと思う。

だから、この店は僕にとって、思想の転向ではない。むしろ、効率化を続けてきたことの帰結として、ようやく余白を置いたという話だ。

・・・

場所や詳しいことは、ここには書かないでおきます。

どこかでお会いしたときに、聞いてください。