値下げは最終手段だと言われる。僕は、最終手段としてもできれば使わないほうがいいと思っている。

一見、売上は上がる。数字も動く。だから効いているように見える。

でも、削られているのは別のものだ。

削られるのは、信用のほう

価格は、単なる数字ではない。品質のシグナルとして機能している。

だから値下げをすると、二つのことが同時に相手に伝わる。

ひとつは「この価格でも成立するのだ」ということ。もうひとつは、既存の顧客に対する「では今まで払っていたのは何だったのか」ということだ。

後者がきつい。

長く付き合ってくれている人ほど、正規の価格で買ってくれている。その人たちに向かって、実はもっと安くできましたと宣言するのが値下げだ。悪気はなくても、そう受け取られる。

一度そう思われると、次は「また下がるかもしれないから待とう」になる。買うタイミングが、価値ではなく価格の動きで決まるようになる。ここまで来ると、もう元に戻すのは難しい。

集まる人が変わる

もうひとつの問題は、届く相手が変わることだ。

価格を下げると、価格に反応する人が来る。これは人の良し悪しの話ではまったくない。その人が何に反応して買ったかという、動機の話だ。

安さに反応して来た人は、期待値も価格に紐づいている。安いのだからこの程度だろう、と思う人もいれば、安いのだからもっと得をさせろ、と思う人もいる。どちらにしても、こちらが本来届けたかった価値とは違うところで評価される。

そして、期待値がずれている人ほど、不一致が起きやすい。前に別の記事で書いたが、不満の多くは品質ではなく期待値のずれから生まれる。値下げは、そのずれを自分から作りに行く行為でもある。

結果として何が起きるか。

売上は微増する。対応のコストは増える。そして、本来のファンに向けられるはずだったリソースが削られる。

三重苦だと思っている。

安さで来た人は、安さで去る

いちばん端的に言えるのはこれだ。

値下げで来た人は、値上げで一瞬で離れる。

当たり前の話で、その人は価格に反応して来ているのだから、価格が変われば反応も変わる。裏切りではなく、最初からそういう関係だったというだけだ。

だから値下げは、顧客を増やしているようで、関係の弱い顧客に入れ替えていることがある。人数は増えても、基盤は弱くなる。

ただし、値下げが効く領域はある

ここは正確に書いておきたい。値下げが常に悪だとは思っていない。

在庫を捌く必要があるとき。価格弾力性が高くて、下げた分だけ量が伸びる商材。まず使ってもらわないと価値が伝わらないので、入口だけ下げるトライアル。これらは合理的な打ち手だ。

効かないのは、信頼と体験で成り立っている商売のほうだと思う。

一回で価値が伝わらないもの。継続して関係を築くもの。人が提供するもの。この領域では、価格を下げても関係は深くならない。むしろシグナルが濁って、伝えたい価値が伝わりにくくなる。

自分がやっている仕事は、だいたいこちら側にある。だからこの結論になっている、という自覚は持っておきたい。

価格を下げられない仕事をしてきた

余談だが、僕の本業は、そもそも値下げができない。

保険診療の価格は公定価格で決まっていて、どの医療機関でも同じだ。安くすることも、丁寧にやったから高くすることもできない。

これは不自由な条件だが、副産物があった。価格以外で選ばれる方法を考えるしかない、という制約の中でずっとやってきたことだ。

待ち時間をどうするか。説明をどうするか。来る前に何を伝えておくか。価格をいじれないので、それ以外を全部見るしかない。

その癖がついているので、価格を下げるという選択肢が最初から視野に入りにくいのだと思う。

下げる代わりに何をするか

値下げをしないと決めると、やることは自動的に決まる。

価値の説明を良くする。届ける相手を絞る。提供の質を上げる。来る前に期待値を合わせておく。

どれも値下げより時間がかかる。すぐには数字が動かない。だから多くの場合、値下げのほうが選ばれる。

でも、時間をかけて積んだもののほうが、崩れにくい。

安さで選ばれると、次に安いところが出た瞬間に終わる。価値で選ばれていれば、そこは競争軸にすらならない。

だから、下げない。少なくとも、下げる前にやることが残っているうちは。