友人に言われて、膝を打った言葉がある。

「テイカーって、100%テイクでしょ」

それまで僕は、テイカーをかなり広く取っていた。ギブ3、テイク7くらいの人も「テイカー寄りだな」と思っていた。

でも言われてみればその通りで、3でも与えているなら、それは単に交換の比率が偏っているだけだ。関係としては成立している。

本当のテイカーは、そもそも与えるという発想がない。もらうことしか想定していない。だから比率の話ですらない。

この区別がついてから、人を見る解像度が少し上がった。

与えない関係は、こちらを削る

ギブのない人間関係は、続けるほどにこちらがすり減る。

最初は気にならない。一度や二度なら、こちらから出すだけで済む。でも積み重なると、明確に持っていかれるものがある。時間、気力、そしてたぶん運のようなものまで。

特に厄介なのは、信頼で成り立つコミュニティやチームの中に入られたときだ。

テイカーが一人いるだけで、空気が濁る。

なぜかというと、周りが学習してしまうからだ。あの人は出さないのに受け取っている、と全員が気づいた瞬間、他の人も出す量を減らし始める。出し損になるとわかっているものに、人は投資しない。

そうやって、場から少しずつ価値が抜けていく。誰も悪意を持っていないのに、疑心暗鬼だけが残る。

一人の影響が、その一人分では終わらない。ここが本当に厄介なところだと思う。

だから、距離を取っている

そういうわけで最近は、明らかにテイクしかしない人とは、意識して距離を取るようにしている。

これは冷たさではなく、防衛だと思っている。

『GIVE & TAKE』という本に、印象的な話がある。最も成果を上げるのはギバーだが、最も損をしているのもギバーだ、という話だ。同じように与えていても、結果は正反対に分かれる。

分かれ目は、自分を守れるかどうかにある。

無制限に与える人は、いずれ枯れる。枯れてしまえば、与えることもできなくなる。だから、与え続けたいなら、与える相手を選ぶ必要がある。

距離を取ることは、与えることをやめる決断ではなく、与え続けるための条件だ。そう理解してから、罪悪感がだいぶ減った。

ただし、判定は慎重にしたい

そのうえで、自分に言い聞かせていることがある。

「今、与えていない」と「与えない人だ」は、まったく違う。

人が与えられるかどうかは、その人の余裕とかなり強く相関する。病気のとき、家族の介護をしているとき、子どもが小さいとき、仕事で限界に近いとき。人はもらう側に回る。それは当たり前のことで、そういう時期に受け取れる場所があることこそ、コミュニティの価値だと思う。

僕自身、明らかにもらってばかりの時期があった。学生の頃、東京で何度も食事をご馳走になったし、100万円を返済期限なしで貸してくれた人もいた。あのときの僕は、比率で言えば完全にテイカーだった。

だから、一時的にもらう側にいる人を切るのは違う。それをやると、単に余裕のある人としか付き合わない人間になる。

僕が距離を取りたいのは、構造的に受け取るだけの人だ。余裕があるときも、状況が変わっても、出す側に回る発想が最初からない人。この違いは、しばらく見ていればわかる。

一緒に働く人を選ぶこと

採用でも、ここは見ている。

前に、素直でいいやつが最強という話を書いた。あれと重なるのだが、「与える姿勢があるかどうか」は、スキルよりずっと先に来る条件だと思っている。

チームの成果は、個人の能力の足し算では決まらない。誰かが誰かを助けた回数で決まる部分がかなり大きい。その回数を増やす人と、減らす人がいる。減らす人は、本人の生産性がどれだけ高くても、チーム全体では確実にマイナスになる。

もっとも、これは既にいる人を選別するという話ではない。入口で見ておく、という話だ。この二つは似ているようで全然違う。

関わる人は、選んでいい

結論としては、シンプルなところに落ち着く。

関わる人は、選んでいい。

これは、人を切ることを推奨しているのではない。自分が誰と時間を過ごすかを、自分で決めていいという当たり前のことを、当たり前にやろうという話だ。

そして選ぶことは、自分の幸福度だけの問題ではない。濁った空気の中で消耗するのは、たいてい自分ではなく、周りにいる真面目な人たちのほうだからだ。

守るべきなのは、そっちだと思っている。