※ 個人的な昔の話です。誰かの役に立つ内容ではありません


毎年、夏になると思い出す後悔がある。

友人の父親のことだ。

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大学進学で福岡から関東に出た僕には、東京に大人の知り合いがあまりいなかった。学生同士のつながりはあっても、社会人として生活している大人と話す機会は、思っていたよりずっと少なかった。

そんな中で、高校時代から親しかった友人のお父さんが、東京で鰻屋の店長をしていた。友人と一緒に、よくお店に行かせてもらった。

何度も鰻をご馳走になった。学生の身分で鰻を何度も食べているというのは、今考えるととても贅沢な話だ。当時の僕はたぶん、その贅沢さをちゃんと理解していなかったと思う。

3人で飲みに行くこともあったし、お父さんと僕の2人だけで食事に行くこともあった。息子の友人というだけの学生を、対等な相手として扱ってくれる人だった。

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それから1〜2年経った、8月のお盆頃。

福岡へ帰省する新幹線の中で、そのお父さんから電話がかかってきた。

「こがくん、今日何してるんだい?」

「すみません、いま福岡に帰省している新幹線でして」

「そうか、そうか」

「何かありました?」

「今夜暇だったら、どうかと思ってね」

「福岡から戻ったら連絡します! ぜひ行きましょう」

「うん、また連絡待ってるよ」

それが、最後の会話になった。

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福岡から戻り、9月になるとすぐ大学が始まった。日常に戻って、その約束を忘れてしまった。忘れたというより、いつでもできることだと思っていた、というほうが正確かもしれない。

しばらくして、「そういえばお盆に連絡もらってたな」と思い出しかけていた頃、友人から連絡が来た。

お父さんの訃報だった。

あの電話から、ほんの数ヶ月だった。

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今となっては、あの日、僕に何を話したかったのかは分からない。

何か大事な話があったのかもしれないし、本当にただ飲みに行きたかっただけなのかもしれない。たぶん後者だろうという気もする。でも、そんなことはもう確かめようがない。

確かめようがない、というところが、この後悔の一番きついところだ。謝ることもできないし、埋め合わせることもできない。何が失われたのかすら、正確には分からないままになる。

せっかく連絡をもらったのに。

なんで僕はすぐに連絡しなかったんだろう。

なんで会いに行かなかったんだろう。

その後悔だけが、ずっと残っている。

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大事な人が、いつまでもそこにいるとは限らない。

「また今度」は、本当に来るとは限らない。

会いたい人には、会いに行った方がいい。話したい人とは、話した方がいい。行きたい場所には、行った方がいい。

その時は、いつも突然やってくる。

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だからあれ以来、僕は会いたい人にはできるだけすぐ会いに行くようにしている。行きたい場所にも、できるだけすぐ行く。

思い立ったその日に飛行機を取ることもあるし、深夜に思いついて翌朝に会いに行くこともある。人からはフットワークが軽いと言われるし、自分でもそういう性格なのだと思ってきた。

でも最近になって、少し違うのかもしれないと思うようになった。

僕がやたらと人に会いに行ったり、いろんな場所へ飛んでいったりするのは、もしかするとあの日からなのかもしれない。性格ではなく、あのとき折り返さなかった一本の電話が、今も背中を押し続けているだけなのかもしれない。

毎年、夏になると思い出す。

あの後悔を、もう二度と味わいたくない