「まあ、これで出しちゃおう」
「今日は仕方ない」
この2つが、いちばん怖い言葉だと思っている。
一度許容した水準は、次からの標準になる。しかもそれは、自分では気づけない形で進む。
基準の低下は、なぜ自覚できないのか
理由は単純で、自分の基準を測る物差しが、直近の自分だからだ。
前回より極端に悪くなければ、問題があるようには感じられない。ところが前回も、その前より少しだけ下がっている。1回ごとの下げ幅が小さいので、どの時点でも異常には見えない。
そうやって半年経つと、最初なら絶対に出さなかったものを、平然と出せるようになっている。
そして厄介なことに、下がった基準のほうが快適だ。楽だし、時間も短い。誰にも怒られない。前に書いたが、年齢や立場が上がるほど、誰も指摘してくれなくなる。外から止まる力も弱くなっていく。
意志では、たぶん止まらない
じゃあどうするか。気を引き締める、では止まらない。
人間は怠惰だからだ。少なくとも僕は怠惰だ。疲れている日も、機嫌が悪い日も、締切が迫っている日もある。そういう日に意志の力で水準を保てるなら、そもそも苦労していない。
答えは仕組みしかないと思っている。
別の記事で、組織は仕組みで回すべきで、気持ちで回っている時点でどこかが壊れている、と書いた。同じことが、個人にも当てはまる。
自分を甘やかせないルールを作る。逃げ道を先に塞いでおく。低い品質では提出できない構造にしておく。
医療は、これを一番真剣にやってきた
余談だが、この考え方は医療の世界から学んだところが大きい。
医療安全の分野では、長いこと「注意しましょう」が効かないことが知られている。人はミスをする。優秀な人も、真面目な人も、疲れていればミスをする。だから、個人の注意力に依存しない設計をする方向に進んできた。
手術前のタイムアウト。薬剤のダブルチェック。手順書とチェックリスト。どれも、その場の判断力に頼らないための装置だ。
チェックリストというのは、極めて頭の悪い道具に見える。書いてある通りに確認するだけだから。でも、それが実際に事故を減らしてきた。人間の意志より、紙一枚のほうが強い。
これはかなり示唆的だと思っている。品質を保つ仕組みは、賢くある必要がない。むしろ、頭を使わなくても機能するほど強い。
自分に仕込んでいること
具体的にやっていることを、いくつか書く。
下限を先に決めておく。 「これ以下では出さない」という線を、疲れていない日に引いておく。判断が鈍っている当日に決めない。
人の目を通す工程を入れておく。 出す前に誰かが見る構造にしておくと、雑なものは物理的に出せなくなる。自分で自分を律するより、はるかに楽だ。
締切を他人に握らせる。 自分で設定した締切は自分で動かせる。動かせないようにするには、他人との約束にするのが早い。
やらないと決めたものは、始めない。 中途半端に着手すると、中途半端なまま出す言い訳が生まれる。抱える量を減らすことも品質管理のうちだと思っている。
どれも大した工夫ではない。ただ、意志に頼っていないという一点だけが重要だ。
ただし、意図的な妥協は悪ではない
ここは付け加えておきたい。
すべての妥協が悪いわけではない。
締切を守るために質を落とす。手が足りないので範囲を狭める。今回は7割で出して、次で直す。これらは正当な判断だし、常に100点を求めるのは、単に自分と周りを壊すやり方だ。
問題なのは、妥協そのものではなく、それが無自覚に起きることだ。
だから僕は、意図的に下げたときは、下げたと認識するようにしている。できれば書き残す。そうすると、それが「今回の判断」として残り、「新しい標準」にはならない。
自覚された妥協は戻せる。自覚されない妥協は戻せない。差はそこだけだと思う。
結局は習慣
まとめると、こうなる。
基準は、決意ではなく習慣で守られる。そして習慣は、意志ではなく設計で作られる。
人間は、たぶん習慣でしか自分を超えられない。少なくとも僕はそうだ。
