お金の使い方には、その人の思想がかなり出ると思う。
僕が面白いと思うのは、「高いものを買うか」「節約するか」という軸ではない。
そのお金が、短期的に消えていく消費なのか、中長期的に何かを残す可能性のある投資なのか。この区別を感覚でできる人は、強いと思っている。
何が投資になりうるか
投資というと金融商品を思い浮かべやすいが、ここで言っているのはもっと広い意味だ。
人に会いに行く。知らない場所に行く。勉強する。経験を買う。人を雇う。時間を買う。
どれも、使った瞬間には何も返ってこない。数字にもならない。でも、あとから効いてくることがある。
たとえば人に会うために使った交通費は、その日には何も生まない。でも、そこで会った人と数年後に仕事をすることがある。僕の場合、20代に東京と福岡を往復していた費用は、今から見ると明らかに投資だった。当時はただの出費だと思っていたが。
判断の基準
とはいえ「これは投資だ」と言い張れば何でも投資になってしまうので、自分に問う基準を決めている。
使ったあとに、何が残るか。
スキルが残るか。関係が残るか。選択肢が増えるか。記録が残るか。
このどれにも当てはまらないなら、それは消費だ。それでいい。ただ、投資だと思い込むのはやめておく。
もうひとつ、判断が難しいのは、同じ支出が人によって変わることだ。
旅行は典型で、消費と投資の境界線みたいなものだと思う。ただ休むために行くならほぼ消費だし、そこで人に会い、何かを見て、それが後の判断を変えるなら投資になる。同じ行き先でも、使い方で変わる。
だから、値段では決まらない。
消費を悪いものにしない
ここは強調しておきたい。
全部を投資で説明しようとすると、別のところが壊れる。
回収を前提にしてしか動けなくなると、目的のない時間が持てなくなる。友人と何の意味もない話をして帰る夜とか、ただ気持ちよく食べて終わる食事とか、そういうものが許せなくなる。
前に、効率化の果てに場をつくった、という話を書いた。効率で測れば完全に無駄な時間が、たぶん人には必要だ、と。あれと矛盾させたくない。
だから僕は、消費を減らそうとは思っていない。消費だと自覚して使うことが大事だと思っている。
これは投資だと自分に言い聞かせながら遊ぶより、これは純粋な消費だと分かって遊ぶほうが、結果的に健全だ。自覚があるものは、量を調整できる。自覚がないものだけが、いつのまにか膨らむ。
回収できないことのほうが多い
正直に書くと、投資のつもりで使った金の大半は、回収できていない。
行ってみたが何も起きなかった場所も、会ってみたが特に続かなかった人も、買ったが読まなかった本も、いくらでもある。
でも、それでいいのだと思っている。
どれが当たるかは事前にわからないので、当たる確率を上げる方法は、試行回数を増やすことしかない。前に、判断の精度は試行回数でしか上がらないと書いたが、お金の使い方も同じだ。
一発で正解を引こうとするより、外れ前提で数を打つほうがいい。だから、一回あたりの金額は身の丈に収めておく必要がある。回収できなくても平気な額しか賭けない、という条件つきの話だ。
長期の目線
まとめると、こうなる。
「これは高いからやめる」「これは安いから買う」だけで決めない。
このお金は、未来に何を残すのか。何も残さないなら、残さないものとして楽しむ。
この目線を持っている人は、長期的には強いんじゃないかと思っている。少なくとも、値段だけで判断している人よりは、面白いところに行き着く気がする。
