若い頃は「自分のやり方でやりたい」と思いがちだ。僕もそうだった。

でも、正直に言えば、何も持っていない人間にオリジナリティなんてない。

自分の若い頃を振り返って、一番やってよかったと思うのは、できる人の真似をしたことだ。

話し方、仕事の進め方、判断の仕方。とにかく見て、真似た。

何を真似るか

ただ、真似ると言っても、真似る対象を間違えると効果がない。

多くの人が真似るのは、表面のほうだ。言い回し、資料の作り方、服装、口癖。これらは目に見えるので、真似しやすい。

でも、本当に効くのは判断のほうだと思う。

その人が、なぜその選択をしたのか。何を見て、何を無視したのか。どの情報が来たときに方針を変えたのか。

これは見ているだけではわからないので、聞くしかない。「なぜそう決めたんですか」と聞く。当時の僕はよくこれをやっていた。うるさかったと思うが、これが一番効いた。

表面だけ真似ると、うまくいっているときは同じに見えるのに、想定外のことが起きた瞬間に差が出る。判断の型がコピーされていないからだ。

医療は、模倣で教える分野

自分の分野で言うと、医療の技術習得はほぼ模倣でできている。

見て、やって、教える。この順番で覚えていく。手技を言葉だけで説明しても、まず身につかない。上手い人の手元を見て、同じようにやってみて、違いを指摘されて、また見る。

そして、上手い人ほどなぜそうするかを説明できる。ここに角度をつけて入れるのはこういう理由だ、という説明がついてくると、習得の速度がまるで変わる。

だから、真似る相手を選ぶなら、うまい人ではなく、うまくて説明できる人がいい。

副作用もある

真似ることには、明確な副作用がある。

悪癖ごと入る。

尊敬している人のやり方を丸ごと取り込むと、その人の癖も、判断の偏りも、時代遅れになっている部分も一緒に入ってくる。しかも本人は取り込んだ自覚がないので、後から抜くのが難しい。

だから、一人だけを真似るのは危ないと思っている。

何人か真似ると、矛盾する箇所が出てくる。この人はこう言うが、あの人は逆のことを言う。その矛盾を自分で処理せざるを得なくなったときに、初めて自分の判断が要る。

たぶんそこが、オリジナリティの入口だ。

滲み出るもの

オリジナリティは、ゼロから突然生まれるものではないと思う。

誰かの真似を大量に繰り返した先で、どうしても自分から滲み出てしまうもの。それが個性なんじゃないか。

同じことを真似しても、人によって残るものが違う。合わない部分は自然に落ちるし、自分の性質と噛み合った部分だけが残る。その残り方が、その人の形になる。

だから、真似ることで個性が失われる心配は、たぶんいらない。むしろ、真似ができるだけの量をこなしていない段階で自己流に走るほうが、何も残らない。

言葉だけ拾うと危ない

「下積みなんていらない」「自分らしくやりたい」

こういう言葉は、正しい部分を含んでいる。無意味な我慢は要らないし、他人の型に一生収まる必要もない。

ただ、言葉だけを拾って、何も身につけないまま自己流に走るのは危ない。

自分らしさは、選ぶものではなく、残るものだと思っている。

まず真似る。自分らしさは、そのあと勝手に出てくる。