産婦人科は、感情の負荷が非常に高い領域だ。
不安、羞恥、痛み、これまでの経験。診察室に入ってくる時点で、多くの人が何かしらの重さを抱えている。婦人科の受診を何年も先延ばしにしてきた、という人にも珍しくなく出会う。
そういう場所では、体験が「正しさ」ではなく「感情」で記憶される。これは当たり前のことで、責められる話ではまったくない。むしろ人間として自然だ。
問題は、提供する側がそのことを直視せずに仕事をすると、確実に壊れるということだ。
医師は症状で判断し、受診者は期待を持って来る
医療は基本的に、症状と所見に基づいて医師が判断する。これは仕組みとしてそうなっている。
一方、受診する側は「こうしてほしい」という期待を持って来る。この検査をしてほしい、この薬を出してほしい、この不安を消してほしい。
この2つは、しばしばずれる。
そしてこのズレは、説明を尽くせば必ず埋まる、という種類のものではない。前提が違うからだ。前に別の記事で書いたが、同じ日本語を違う辞書で引いている状態に近い。
医学的に最も妥当な判断が、その日その人にとって最も満足度の高い体験になるとは限らない。逆もある。医学的には何も足していないのに、話をよく聞いただけで満足度が跳ね上がることもある。
満足度と医学的妥当性は、別の軸なのだ。
この2つを1本の物差しにまとめようとすると、どちらかを犠牲にすることになる。満足度に寄せれば、不要な検査や不要な処方が増える。妥当性だけを見れば、受診者の体験は置き去りになる。
だから僕は、この2つを別々に評価するようにしている。今日の判断は医学的に妥当だったか。今日の体験は良いものだったか。この2つは別々に問うべき質問だ。
全員に満足してもらう、を目標にしない
そのうえで、はっきり書いておきたいことがある。
全員に満足してもらうことを目標に置くと、続かない。
感情の負荷が高い領域では、どれだけ丁寧にやっても、良い体験にならない日がある。相手の状況、その日の体調、過去の医療体験、こちらの説明の巧拙。変数が多すぎて、100%は原理的に取れない。
にもかかわらず100%を目標にすると、取れなかった数%が全部「自分の失敗」として積み上がる。これは高い確率で燃え尽きる。実際、この領域で消耗して辞めていく医療者を何人も見てきた。
だから僕は、目標を「全員の満足」ではなく、「自分たちが提供すると決めた価値を、決めた品質で毎回出すこと」に置いている。
そのうえで、合う人にはしっかり価値を届ける。合わない期待に対しては、自分を無理に合わせにいかない。
ここが一番危ないところ
ただ、ここまで書いてきたことは、非常に危ない使い方ができる。
「満足度と妥当性は別だから」という一文は、あらゆる苦情を無効化できる万能の道具になってしまう。
自分の説明が雑だったのに「感情の問題」で片づける。処置が乱暴だったのに「そういう領域だから」で流す。本当に不適切なことをしたのに「合わない人だった」で終わらせる。全部できてしまう。
そして産婦人科は、この誘惑に対して特に警戒すべき領域だと思っている。
なぜなら、この分野には、受診者の訴えが「気にしすぎ」「よくあること」として軽く扱われてきた長い歴史があるからだ。痛みを訴えても流された、不安を口にしたら笑われた、説明もなく処置が始まった。そういう経験を語る人に、僕は診察室で何度も会っている。
その歴史のある領域で、医師の側が「一定割合の不満は構造的に発生するものだ」と言い出すのは、控えめに言っても筋が悪い。それは自分を守るための理屈であって、目の前の人のための理屈ではない。
だから、自分に課しているルールがある。
相手が感じたことは、常に事実として扱う。 不快だった、雑に扱われたと感じた。それは起きたことだ。否定しようがない。
そのうえで、その感情が、こちらの判断や振る舞いの誤りに由来するのかどうかは、別途冷静に検証する。
この2ステップを分けないと、片方に必ず倒れる。全部自分のせいにして潰れるか、全部相手のせいにして傲慢になるか。どちらもよくある。
距離ではなく、設計で解く
「合わない人とは距離を取る」という言い方を、僕はしないようにしている。医療者がこれを言うと、受診を断るという意味に読めてしまうからだ。実際にはそうではないし、そうであってはいけない。
やるべきなのは、距離を取ることではなく、期待値を事前に設計することだと思っている。
うちのクリニックが何を提供して何を提供しないかを、来る前に開示しておく。ここでできない検査や治療が必要なら、設備の整った病院に紹介する。時間をかけて向き合うべき相談なら、その時間が取れる枠に案内する。
来てから「思っていたのと違う」となる確率は、来る前の情報でかなり下げられる。ずれてしまった後に説得で埋めるより、ずれる前に合わせるほうが、双方にとってずっと楽だ。
消耗しないために
この領域で消耗せずに働き続けるために必要なのは、鈍感になることではないと思う。鈍感になったら、そもそもこの仕事はできない。
必要なのは、指標を分けることだ。
今日の判断は妥当だったか。今日の体験は良かったか。良くなかったとして、それは自分に直せるものだったか、それとも直せないものだったか。
この3つを毎回きちんと分けて考える。分けられている限り、直せるものは直せるし、直せないものに引きずられずに済む。
全部を一緒くたにして「今日はうまくいかなかった」で終わらせると、改善も回復もできない。分けることだけが、たぶん唯一の方法だ。