「相手を喜ばせる」と「相手に媚びる」は、似ているようで全然違う。
行動だけ見ると、区別がつかないこともある。どちらも相手のために何かをしているからだ。
違いは、たぶん主体性がどちらにあるかだ。
言われてやるか、見て動くか
「これやって」「ここ行きたい」「これ欲しい」
と言われるたびに全部応えるのは、場合によってはただ媚びているだけになる。判断しているのは相手で、こちらは実行しているだけだからだ。
一方で、
この人は何が好きなんだろう。何をしたら嬉しいんだろう。今どんな気持ちなんだろう。
と相手を見て、自分で考えて、求められるより先に動く。これは喜ばせるだと思う。
人間関係がうまい人は、「相手に合わせる人」ではなく「相手をよく見ている人」なんじゃないか。
言われたことを全部やるより、言われる前に気づく。この差はけっこう大きい。
もうひとつの見分け方
主体性と言うと少し抽象的なので、もっと単純な指標も挙げておきたい。
断れるかどうか。
媚びは、たいてい断れない状態から出てくる。断ると関係が終わると思っているから、全部受ける。
喜ばせるほうは、断れる立場から選んでやっている。今回はやる、今回はやらない、を自分で決められる。
だから、同じことをしていても、断る選択肢が自分の中にあるかどうかで、まったく別の行為になる。
全部応えると、関係が壊れる
そして厄介なことに、全部応え続けると、関係のほうが崩れる。
要求は、通るほどエスカレートする。これは相手が悪人だからではなく、単純に「言えば通る」という学習が起きるだけだ。
そして応えている側の価値は、なぜか下がっていく。いつでも手に入るものは、ありがたみを失う。
前に、対等でない関係は健全に続かないと書いた。全部応える関係は、その典型だと思う。優しさのつもりで始めたことが、対等さを壊していく。
だから、媚びている人を責める気にはならない。断ると失うと思っているから、そうしているだけだ。問題は本人の性格ではなく、断れない関係のほうにある。
ただし、先回りしすぎない
もうひとつ、逆側の注意も書いておきたい。
「言われる前に気づく」を突き詰めると、先回りが過ぎることがある。
よかれと思って全部整える。相手が考える前に選択肢を潰して、最適だと思うほうに持っていく。これは気配りのようでいて、実際には相手の選択を奪っている。
医療でも同じことが起きる。患者さんのためによかれと思って、こちらが良いと思う方針に寄せてしまう。専門知識がある分、こちらのほうが正しいことも多い。それでも、選ぶのは本人であるべきだ。
だから、気づくことと、決めることは分けたほうがいい。
気づいたうえで、聞く。「これ、こうしようか?」と一度置く。察して勝手にやるのが上級者、ではないと思っている。
見ることが先
まとめると、こうなる。
相手をよく見る。何を求めているかを考える。そのうえで、自分で判断して動く。ときには断る。決めるべきことは、相手に返す。
やっていることは似ていても、この順番があるかどうかで、まったく別のものになる。
言われたからやるのと、見て気づいてやるのとでは、渡しているものが違う。
