物音がうるさい職場は、だいたい何かがおかしい。
これは長年の実感で、かなり打率が高い。
「出さなくていい音」だから情報になる
BGMや会話は、目的があって出ている音だ。だから、うるさくても意味がある。
でも物音は違う。基本的に、出さなくていい音だ。
ものを乱暴に置く。引きずる。ドアを勢いで閉める。放り投げるように渡す。どれも、少し気をつければ音は出ない。出ないようにできるのに出ている、というところに情報がある。
だから物音は、音そのものの問題ではない。扱いの粗さや、所作の雑さが、たまたま音という形で外に出ているだけだ。
音に出ている時点で、気配りも、動きのリズムも足りていない。そして所作が雑な現場は、たいてい仕事の詰めも甘い。空気もどこかザラついている。
ただし、うるさくて当然の場所はある
念のため書いておくと、これは「静かな職場が良い職場」という話ではない。
厨房は音が出る。手術室も、処置室も、救急の現場も音は出る。工場や工事現場に至っては、音がしないほうがおかしい。器具の音、機械の音、声を張る必要のある指示。これらは全部、必要があって出ている音だ。
判断材料になるのは、あくまで出さなくていい場面で出ている音のほうだ。急ぐ必要のない場面での乱暴な動作。誰も見ていないときの雑な扱い。そこにだけ、その現場の素の状態が出る。
音が増えるときに、何が起きているか
ここが一番書きたいところなのだが、僕は物音を「その人ががさつだから」で片づけないようにしている。
現場で音が増えているとき、たいてい裏で何かが起きている。
急がされている。人手が足りず、一つひとつの動作に余裕がない。手順を教わっていない。あるいは、誰も気にしていない環境が長く続いて、それが標準になっている。
どれも、個人の性格ではなく状態の問題だ。そして状態には原因があり、原因はたいてい仕組みの側にある。
だから物音は、判定ではなく聴診音だと思っている。
聴診で異常音が聞こえたら、まず何が起きているかを考える。音そのものを止めようとはしない。「静かにしろ」と言えば音は消えるかもしれないが、原因は消えない。しかも、その現場は音が出ないように振る舞うことだけを覚える。
音が出ている理由のほうを見に行かないと、意味がない。
静かすぎる職場も、危ない
もう一つ、逆側も書いておきたい。
音のない職場が良いとは限らない。むしろ、不自然に静かな職場のほうが危ないことがある。
みんなが萎縮していると、職場は静かになる。物音も立たないし、雑談も起きないし、質問も飛ばない。上司の機嫌をうかがっている現場は、しんと静まりかえっている。
これは丁寧さではなく、緊張だ。そして、そういう職場では小さなミスや違和感が報告されなくなる。医療で言えば、いちばん避けたい状態にかなり近い。
だから理想は、無音ではない。
必要な音は出ていて、必要のない音は出ていない。人の声はあるが、ものの音はしない。この状態が、たぶんいちばん健全だと思っている。
音は正直
結局のところ、音は取り繕いにくい。
言葉や態度は、来客のときだけ整えることができる。でも、ものの置き方は無意識に出るので、日常の状態がそのまま出る。
だから僕は、新しい場所に行くと、まず音を聞いている。何を言っているかではなく、どんな音がしているか。
たいてい、それが一番早い情報になる。