昨日、モテとは「相手が望むものを自然かつ継続的に提供できて、それが希少な状態」なんじゃないか、と書いた。

そう定義すると、次にわかることがある。

モテは、絶対的な能力ではなく、相対的な価値だということだ。

誰からもモテる人はいない

どんなに一般的に魅力的とされる人でも、刺さらない相手には刺さらない。

きゅうりが嫌いな人に、どれだけ立派なきゅうりを出しても喜ばれない。品質の問題ではない。需要がないだけだ。

「イケメンはモテる」と言われる。たしかに顔を重視する人からは強い。でも、顔をあまり重視しない人にとっては、その価値はかなり小さくなる。

僕自身、モデル体型の綺麗な女性が好きかと言われると、正直そこにはあまり惹かれない。それより、よく笑うとか、聞き上手だとか、愛嬌があるとか、そっちのほうが圧倒的に大事だったりする。

これは僕の趣味の話だが、要するに人の魅力に共通の点数表はないということだ。

自分が自然に持っているものと、相手が求めているもの。この二つが重なったところにだけ、モテが発生する。

だから、作り変える必要はない

そう考えると、モテるために自分を無理に作り変える必要は、たぶんない。

点数表が存在しないなら、点数を上げるという発想自体が成立しない。上げるべきは点数ではなく、重なりが生まれる場所を見つける精度のほうだ。

ただ、これを「努力しなくていい」と読むのは違うと思う。

自分が自然に出せるものを磨くことと、別人になることは、まったく別の作業だ。前者はやったほうがいい。よく話を聞ける人が、もっとうまく聞けるようになるのは、単純に強くなる。

やめたほうがいいのは、自分にないものを装うほうだ。装ったものは自然ではないので、続かない。

「モテる」と「その人に好かれる」は別物

ここが、今回いちばん書きたかったところだ。

相手を知ろうとする努力は、当然大事だ。

でも、特定の一人を徹底的に研究して、その人が望む人間になることは、モテとは少し違うと思っている。

それは「その人に好かれる技術」だ。

この二つは、目的も方法も違う。

モテは、広く浅い分布の話だ。自分が自然に出せるものを求めている人が、世の中にどれくらいいるか。相手を変えることはできないので、探す精度と、出会う量で決まる。

その人に好かれる技術は、一点に最適化する話だ。相手の好みを読み、それに合わせて自分の出し方を変える。うまくやれば、確かに効く。

どちらも有効だが、混同すると事故る。

一人に合わせて自分を作り変えると、その関係が続くかぎり、その役を演じ続けることになる。しかも、相手が求めるものは時間とともに変わる。演じている側は、変化に合わせて演じ直すしかない。これはかなりしんどい。

逆に、モテだけを追っていると、誰とも深くならない。広く浅く好かれるが、そこから先に進まない。

順番があるとすれば、まず自分が自然に出せるものがどこで求められているかを知る。そのうえで、特定の相手を深く知ろうとする。作り変えではなく、理解のほうへ。

たぶんこの順番が壊れると、しんどくなる。

市場原理と言ってしまうと

こう整理すると、モテは市場原理にかなり近い。

供給があり、需要があり、希少性で価値が決まる。冷たい言い方に聞こえるかもしれない。

でも僕は、この見方にはむしろ救いがあると思っている。

万人受けを目指さなくていい、という許可が出るからだ。

自分が低く評価されていると感じるとき、たいていは、たまたま需要のない場所にいる。その市場で点数が低いことと、価値がないことは違う。場所を移せば、まったく同じ性質が希少になることは普通にある。

だから、点数表を上げようとするより、自分が高く評価される場所を探すほうがいい。

ただし、恋愛はこれだけでは説明できない

前にも書いたが、恋愛に限れば、この枠組みでは説明しきれない部分が確実にある。

相性、タイミング、理屈にならない好き嫌い。需要と供給の外にあるものが、明らかに効いている。

だからこれは、恋愛の攻略法ではない。

自分が持っているものを、無理に隠したり誇張したりせずに、それを求めている人のところに置いておく。せいぜいそのくらいの話だと思っている。