産婦人科診療をやっていると、この問いに毎日のように行き当たる。

妊娠を希望していない時期に、毎月わざわざ出血して、体調を崩して、仕事や生活に支障を出してまで耐える理由は、本当にあるのか。

診察室では、「いつも3日は寝込みます」「痛み止めが効かないので出勤を諦めています」「気分の落ち込みで人間関係が壊れかけました」といった話を聞く。そして多くの人が、それを「そういうものだから」と受け入れている。

僕はここに、かなり強い違和感を持っている。

「自然だから」は理由になっていない

よく言われる説明がある。自然なことだから。女性らしさの象徴だから。

これらは、医学的な理由ではない。価値観の表明だ。価値観を持つのは自由だが、他人の苦痛を我慢させる根拠にはならない。

医学的に言えば、月経そのものが、それ自体で何か健康を維持する機能を果たしているわけではない。妊娠が成立しなかった結果として起きる現象であって、目的があって存在しているものではない。

さらに言えば、多くの人が「毎月あるのが普通」と思っている出血のかなりの部分は、生理学的な必然というより、薬剤の使い方の設計に由来している。ホルモン製剤の休薬期間に起こる出血は、自然な月経とは別のものだ。それを毎月置くかどうかは、医学的必然ではなく、運用の選択でしかない。

つまり「毎月あるべきもの」という前提自体が、思ったより根拠の薄いものだ、というのが出発点になる。

それでも、月経には「情報」としての価値がある

とはいえ、「じゃあ意味はゼロか」と言われると、そうではない。ここは正確に書きたい。

月経には、からだの状態を映すシグナルとしての価値がある。

周期が急に乱れる。経血量が明らかに変わる。今までなかった強い痛みが出る。こうした変化は、背後に何かが起きていることのサインになりうる。定期的に来ているという事実そのものが、内分泌が一定の範囲で回っていることの、粗いながら手軽な指標になっている。

だからこそ、はっきり分けて考える必要がある。

薬で計画的にコントロールして止めている状態と、気づいたら来ていない状態は、まったく別物だ。

前者は管理された状態で、後者は評価が必要な状態だ。体重の減少、過度な運動、内分泌の異常など、放置してはいけない原因が隠れていることがある。「月経は止めてもいい」という話を、「来ていなくても気にしなくていい」と読み替えてしまうのが、いちばん危ない。

来ていないことに理由があるのか、それとも自分で止めているのか。この区別だけは、絶対に曖昧にしてはいけない。

我慢する理由はない、が、全員が止めるべきでもない

そのうえで、僕の立場ははっきりしている。

月経困難症、PMS、子宮内膜症などで生活が壊れているなら、それは我慢する理由のない苦痛だ。コントロールする選択肢は医学的に確立していて、多くの人でQOLは明確に上がる。

ただし、ここで急ブレーキをかけておきたい。

だから全員が止めるべきだ、という話ではまったくない。

薬剤には適応と禁忌がある。体質、既往、年齢、喫煙の有無などによって、選べるものも、避けるべきものも変わる。これは記事を読んで自己判断できる領域ではなく、必ず個別に評価が要る。

そして何より、止めないという選択も、同じように尊重されるべきだ。

自分のからだのリズムを感じていたい人がいる。薬を使うこと自体に抵抗がある人もいる。それは「思考停止」ではなく、本人の選択だ。医師が「月経は不要だから止めましょう」と押し切るのは、「自然だから受け入れましょう」と言うのと、構造としては同じ押しつけになる。

どちらの方向であっても、他人が決めることではない。

本当のバイアスはどこにあるか

では、僕が問題だと思っているバイアスはどこにあるのか。

選択肢が提示されないまま、我慢が既定路線になっていることだ。

毎月寝込んでいるのに、それを相談すべきことだと思っていない人がいる。学校でも職場でも「そういうもの」として扱われてきたから、選択肢の存在自体を知らない。あるいは、相談したところで「みんなそうだよ」で終わった経験がある。

つまり問題は、月経があること自体ではなく、それを調整するという発想に触れる機会がなかったことにある。

情報が渡されたうえで「私はこのままでいい」と選ぶなら、それは何の問題もない。渡されないまま我慢しているのだけが、変えられるはずの不幸だ。

だから僕が診察室でやりたいのは、止めさせることではない。選べる状態にすることだ。

結論

月経は、妊娠に関係する現象であって、それ自体が守るべき機能ではない。だから、生活が壊れているなら我慢する必要はない。

一方で、月経は健康状態を映すシグナルでもある。だから、自分で管理して止めるのと、理由がわからないまま来ないのとは、まったく違う。

そして、止めるか止めないかは、正しい情報を得たうえで本人が決めること。

「あるべきだ」も「なくすべきだ」も、どちらも他人が決める話ではない。決められるようにすることが、僕の仕事のほうだ。