大学に入って最初に気づいたのは、医学の勉強があまりにも面白くないということだった。
物理や数学は好きだった。でもミトコンドリアやクエン酸回路には、もともと興味がない。楽しくないなあと思いながら過ごし、秋頃には大学に行くのもやめてしまった。今にして思えば、興味の持てないものに正面から向き合えない性分が、このときすでに出ている。
代わりに何をしていたかというと、東京にいた。
イタズラから始まった
高校時代、日本の次世代リーダー養成塾というサマーキャンプに参加していた。ここで23歳の起業家の講演を聞いたのが、人生で最初に「起業」というものを知ったタイミングだ。卒塾後に同窓会の立ち上げ責任者などをやったこともあって、全国に友人がいた。その多くが東京の大学に進んでいた。
その仲間とばかりつるんでいた僕が熱狂したのが、Improv Everywhere というイタズラ集団だった。特に Frozen Grand Central。グランドセントラル駅で大勢が一斉に静止する、あれだ。
日本でもやりたい、と思った。広告系の異業種交流会に出かけて大下さんと出会い、そこからイタズラ企画が始まった。毎週日曜の午前中を捧げ、当時大下さんが勤めていた会社の会議室で、ブレスト、企画、ロケハン、撮影をやる。「Frozen Tokyo Midtown」「Titanics」「キョンシー大量発生」といった動画をいくつか作った。
医学生が日曜の朝に東京の会議室でキョンシーの企画を練っている。何の役に立つのかと言われたら困るが、この頃の「思いついたら形にするまでやる」という筋肉は、あとで全部使うことになる。
起業サークルという場
同じ頃、リーダー塾の仲間の一人が東大の起業サークルTNKを紹介してくれた。「大学が面白くないなら入ってみれば」と。のこのこ面接に出かけ、2009年春に入会した。
TNKは「創新者の輩出」を掲げた、今でいうビジネスサークル・起業サークルの先駆けのような存在だった。OBには後に会社を上場させる人たちが何人もいる。何より、エネルギーを持て余した多様な同世代がひとところに集まっていた。
熱量が高い集団なので、衝突も多い。でも衝突しながら共通の目標に向かって突き進んだ時間は思い出深いし、目標に到達した後に朝まで仲間と飲む酒は最高にうまかった。
リスクとは何か。チャレンジとは何か。失敗とは何か。ここで学んだ一番大きなことは、チャレンジした人だけが失敗できる、という当たり前の事実だった。失敗を恐れても仕方がない。何もしなければ失敗すらできない。
ここで出会った人たちとは今もつながっている。仕事の相談をしたり、人を紹介してもらったり、一緒に仕事をすることもある。
20歳で会社をつくった
2010年、TNKに入って2年目に、某大企業の御曹司である後輩が入ってきた。
当時、日本に上陸したばかりのFacebookのメンバーとつながりがあった僕は、チェックインクーポンという新サービスがリリースされることを知っていた。foursquareやgowallaのような位置情報サービスが流行っていた頃で、Facebookもそこに参入し、しかもクーポンを発行できるようになるという話だった。
TNKの飲み会で、その後輩に「〇〇がFacebookのチェックインクーポンのリリースパートナーになったら面白いんじゃないか」と偉そうに語った。数日後、彼から連絡が来た。「家に帰って親父に古賀さんの話をしたら、そいつの話おもしろいから会社に連れてきてくれ、と言われました。行きます?」
暇だったので本社に乗り込んでみると、こう言われた。「Facebookを活用したプロモーションを依頼したい。受けてくれるなら、うちは上場企業だから、手間だけど会社を作ってくれ」
特に悩まず、面白そうだったので快諾した。当時インターンしていた会社の間借り先の社長に相談すると、100万円を返済期限なしでぽんと貸してくれた。そのお金で会社を作った。
飲み会の与太話が、数日で会社設立になる。この体験は、その後の自分の意思決定のスピード感を決定づけたと思う。
撤退の練習
クーポンの仕事が終わってからは、おすすめのレストランを友人間で共有するグルメサービスを企画・開発していた。いよいよ完成というタイミングでRettyがリリースされた。
少し悩んだ。でも「グルメサービスは自分が人生をかけてやりたいことなのか?」と自問して、答えが明確にNoだったので、あっさり撤退を決めた。
その後、自分でもプログラミングをやってみたくなり、エンジニアで起業家の友人に教えてもらいながらRubyを勉強し始めた。Ruby on Railsが「10分でTwitterが作れる」と言われて盛り上がっていた頃だ。
最初に作ったのは、医学生向けの過去問共有サイトだった。学生同士で過去問を共有し、クイズ形式で演習できる。そこそこウケたが、熱狂するユーザーがいたわけでもなく、1000ユーザーにも届かないまま1年経たずに畳んだ。
ここで学んだことは、今も自分の中に残っている。
自分が一番のユーザーになれるプロダクトは、作りやすいし熱も入る。でもそれだけでは足りない。その課題は本当に大きいのか、解決策は適切なのか。そこを客観的に評価できなければ、世に出したときに誰にも見向きもされないゴミが生まれるだけだ。
同時に、プログラミングという営みの良さも知った。仮説と検証のループが小さく、速い。「あるとよさそうな機能」を思いついたら、作ってとりあえず試すことができる。とりあえず試して考える、ユーザーの行動から判断する。それがやりやすいのがIT業界の特徴だった。
あらゆることをHackしようという考え方も、自分には向いていた。
そして医療に戻る
スタートアップの現場を肌で感じ、多くの人に出会った結果、逆に初心に戻ることができた。やはり自分は医療のフィールドで仕事をしたい。そのためには医師免許を取るべきだ。出会った人たちからのアドバイスも、ほぼ全員が「せっかく医学部に入ったんだから免許は取っておけ」だった。
休学と留年を駆使した日々を終え、大学に戻った。解剖実習、臨床講義、病院実習、試験、試験、試験。退屈だったが、目標が明確だったのでなんとか落ちこぼれずに通った。
そして2016年、医師国家試験が視界に入り始めた頃、medu4という医学予備校を主宰していたDr.穂澄に出会う。彼はエンジニアでもないのにWordPressを駆使して、国試の問題が閲覧できるデータベースサイトを運営していた。サーバーがしばしば落ちる。見かねた僕は問い合わせフォームから連絡を取った。
会って話し、過去に医学生向けサイトを作っていたこと、自分自身が医学生であることを伝えて、一緒にmedu4.comを開発しましょうと握手した。2年後に国試を控えた自分が、まさに一番のユーザーであるサービスだ。
その後medu4は、医学生の4人に1人が使うサービスに育った。僕はといえば、紙の書籍を一切使わず、iPad Pro と GoodNotes だけで医師国家試験に合格した。
医学生としては、だいぶ回り道をした6年(プラス数年)だったと思う。でも、その回り道でしか手に入らないものを持って医療の世界に入ることになった。