若い頃より強く思うようになったことがある。
「好き」と「合う」は、まったく別の話だということだ。
すごく好き。会いたい。一緒にいたい。それでも、どこかに違和感があることがある。
価値観だったり、お金の使い方だったり、時間の使い方だったり、人との接し方だったり。
なぜ違和感は大きくなるのか
恋愛感情が強いと、その違和感を「まあいいか」で潰してしまう。
でも、最初に感じた小さな違和感は、時間が経つと消えるどころか、大きくなることのほうが多い気がする。
理由は、たぶん単純だ。
好意は変動するが、生活は積み重なる。
恋愛感情の強度は、必ず変わる。上がったり下がったりするし、長い目で見れば落ち着いていく。それは悪いことではなく、そういうものだ。
一方、価値観や金銭感覚や時間の使い方は、関係が長くなるほど接触する面積が増える。一緒にいる時間が増え、決めることが増え、共有するものが増える。
つまり、違和感のほうは増え、それを覆っていた熱のほうは減る。この二つが同時に進むので、あるとき急に顕在化したように見える。
なぜ「まあいいか」にしてしまうのか
もうひとつ、正直に書いておきたいことがある。
違和感を潰すのは、相手を思ってのことではない。自分が結論を出したくないからだと思う。
好意が強いときに違和感を認めるのは、その人を否定することのように感じられる。だから処理を先送りする。見なかったことにする。
でも、先送りしたものは消えない。あとで、もっと大きくなって出てくる。
消える違和感と、消えない違和感
とはいえ、あらゆる違和感を重く見ていたら、誰とも付き合えない。
違和感には、二種類あると思っている。
慣れで消えるもの。 生活の習慣、好み、細かい癖。最初は気になっても、しばらくすると気にならなくなる類のもの。
消えないもの。 価値観、お金の感覚、そして他人への態度。
三つ目が、いちばん予測力が高いと思っている。
店員への態度。家族への話し方。自分がいない場所で、他人をどう語るか。ここに出るものは、まず変わらない。しかも、いずれ自分にも向く。
前に、人の扱いは一回の態度ではなく繰り返しに出ると書いた。相手を見るときも同じで、こちらへの態度より、第三者への態度を見るほうが正確だ。こちらへの態度には、好意という補正がかかっているので。
相性とは、一致度ではない
そのうえで、これは強調しておきたい。
完全に合う人は存在しない。
だから、「合うかどうか」を一致度で測ろうとすると、永久に合格者が出ない。
僕が最近使っている基準は、違いの有無ではなく、こちらだ。
その違いについて、対等に話し合えるか。
お金の使い方が違ってもいい。時間の感覚が違ってもいい。問題なのは、その話題を出すと機嫌が悪くなる、話し合いにならない、こちらが折れることで毎回終わる、という状態のほうだ。
差そのものより、差を扱える関係かどうか。
そう考えると、相性というのは一致度ではなく、不一致を処理する能力のことなのだと思う。そしてそれは、付き合う前でも、一度何かを揉めてみればだいたいわかる。
それでも好きは必要
最後に、逆側も書いておく。
「合う」だけで選ぶのも、たぶんうまくいかない。
条件が噛み合っていて、話し合いもできて、何の問題もない。でも心が動かない。それはそれで続かないと思う。
前に、続くのは自分が面白いと思っているものだけだ、と書いた。人との関係も、たぶん同じだ。
好きだから付き合う、は正しい。
ただ、長く一緒にいるつもりなら、「この人が好きか」と同じくらい「この人と合うか」も見たほうがいい。
好きという感情は、強い。でも、相性の悪さまで解決してくれるわけではない。
