小学生の頃、毎日が未知の連続だった。

知らない子に話しかけて、その日のうちに友達になった。友達の家に上がり込んで、自分の家とはまったく違うルールがあることを知った。クラス替えのたびに人間関係が総入れ替えになり、そのたびに自分の立ち位置を作り直した。

理不尽なやつもいた。話の通じない先生もいた。逃げ場がなかったので、なんとかやり過ごす方法を自分で考えた。

あの頃、僕は明らかに成長していた。1年前の自分と今の自分が、はっきり違った。

なぜ子どもは伸びるのか

長いあいだ、それを子どもの吸収力の話だと思っていた。若いから伸びる、と。

でも最近は、違う説明のほうが正しい気がしている。

子どもが伸びるのは、逃げられないからだ。

クラスは選べない。席替えも選べない。担任も選べない。合わない相手とも同じ教室で1年過ごす。行きたくない行事にも出る。

未知に晒されることが、本人の意志と無関係に毎日起きる。避ける権限を持っていないから、処理するしかない。処理するから、伸びる。

偉いからではない。強制されているからだ。

大人が手に入れたもの

では、大人になって何が変わったのか。

避ける自由を手に入れた。

これに尽きると思う。

住む場所を選べる。付き合う人を選べる。行かない選択ができる。やらないと決められる。合わない相手とは、もう二度と会わなくていい。

これは自由の獲得であって、本来まったく悪いことではない。むしろ多くの人が、それを手に入れるために長いこと努力してきたはずだ。僕もそうだった。

ただ、副作用がある。

避ける自由を全部行使すると、未知に晒される機会がゼロになる。心地よい人とだけ会い、慣れた場所にだけ行き、わかっている仕事だけをする。快適だし、効率もいい。

そして、伸びなくなる。

子どもの頃に環境がやってくれていたことを、大人は誰もやってくれない。自分で仕込むしかない。

自分の一週間を思い返す

これは他人の話ではなく、自分の話として書いている。

先週、初めて会った人は何人いたか。行ったことのない場所に行ったか。自分より知識のある人に、恥をかきながら質問したか。合わないと思っている相手の話を、最後まで聞いたか。

正直に振り返ると、ゼロの週がある。

そういう週は、たいてい忙しい。やることが多くて、既知の処理を高速でこなしている。生産性という意味では悪くない。でも、その週の自分は、前の週の自分と何も変わっていない。

未知を処理していないから、更新が起きていない。

忙しさは、避ける自由の最も上等な言い訳になる。予定が埋まっているから、新しいことをする余地がない。そう言えてしまうし、実際その通りなので反論しにくい。

説教にしない

ここまで書いておいて何だが、この話を他人に向けて言い出した瞬間に、たぶん全部ダサくなる。

「もっと動け」「ぬるま湯に浸かるな」と言うのは簡単だ。でも、動けない事情がある人はいくらでもいる。介護、体調、子育て、経済状況。前にも書いたが、自由に動ける身体と時間があること自体が、まず幸運だ。

それを自分の意志の強さだと勘違いして人に説教を始めるのは、いちばん見苦しい形だと思う。

だからこれは、自分に向けて書いている。

僕は動ける立場にいる。移動できるし、人に会える。時間の使い方も自分で決められる。その条件を持っていながら、既知の処理だけで一週間を終えているなら、それは環境のせいではなく、完全に自分の選択だ。

小学生の頃は、環境が強制的に自分を伸ばしてくれていた。今は、誰も強制してくれない。

だとすれば、大人の成長というのは、能力の話ではなく、自分に強制をかけられるかどうかの話なのだと思う。

避ける自由を持ったうえで、あえて避けない。それだけのことだ。

たぶん今週も、意識しないとゼロの週になる。