恋愛工学という体系に「非モテコミット」という言葉がある。付き合う前の段階で、一人の相手に過剰に入れ込んでしまう状態を指す。

先に立場を書いておくと、僕はあの体系を全面的に支持しているわけではない。相手を攻略対象として扱う発想には、はっきり違和感がある。

それでも、この一語が指している現象自体は、かなり正確だと思っている。

執着すると、何が見えなくなるか

付き合う前から一人に入れ込むと、その人のことばかり考えるようになる。

返信が来ない。次はいつ会えるのか。今日は誰といるんだろう。自分のことをどう思っているんだろう。

そして、いちばん見えなくなるのが温度差だ。

本人は「一途」のつもりでいる。でも相手からすると、しつこかったり、重かったり、単純に熱量が合っていなかったりする。

厄介なのは、この差が当人にはほぼ見えないことだ。自分の熱量を基準にすると、相手の反応は「素っ気ない」に見える。実際には、相手のほうが普通なのかもしれないのに。

比較できないと、判断できない

対処として、付き合う前なら何人かと会って、並行して相手を知るくらいでいい、と今は思っている。

理由は、駆け引きのためではない。基準を持つためだ。

一人しか知らない状態では、その人が自分にとってどうなのかを判断できない。比べる対象がないので、良いところも悪いところも相対化できない。

そして、選択肢が少ないほど、目の前の一人の価値は勝手に上がる。

「この人しかいない」という感覚は、その人が唯一無二だから生まれるのではなく、他を知らないから生まれることのほうが多いんじゃないかと思う。

前に、モテは相対的な価値だという話を書いた。同じことが、選ぶ側にも当てはまる。絶対的な点数表がないのは、こちらから見ても同じだ。

平静の副産物

もうひとつの効果は、平静を保ちやすくなることだ。

一人にすべてを乗せていると、その人の反応が自分の一日を決めてしまう。乗せる先が分散していれば、返信が半日来なくても、それだけのことになる。

前に書いたが、余裕は精神の強さではなく、配分から来る。これはその具体例のひとつだと思う。

ただし、誠実さの線はある

念のため書いておきたい。

複数の人と会うこと自体は、付き合う前なら問題ないと思っている。ただし、線が一本ある。

隠さないことだ。

こちらだけを見ていると相手に思わせながら並行するのは、単に嘘をついている。そして、相手にもまったく同じ自由があるという前提を持っておくこと。自分は複数と会うが相手はこちらだけを見るべきだ、というのは、都合が良すぎる。

そこさえ守れば、あとは互いに選び合っているだけの話だ。

念のためもう一度書くが、数を打って攻略しろという話ではない。一人に執着しないことと、人を数字として扱うことは、まったく別だ。前者は自分の平静のためで、後者は相手を手段にしている。取りたいのは前者だけだ。

選ばれる側から、選ぶ側へ

結局のところ、いちばん言いたいのはここかもしれない。

恋愛でも、選ばれることばかり考えていると、おかしくなる。

どうすれば気に入られるか。どうすれば嫌われないか。相手の評価を軸に自分の行動を決めていくと、そのうち自分がその人をどう思っているのかが、わからなくなる。

でも、自分だって相手を選ぶ側なんですよね。

この人と一緒にいて楽しいのか。価値観が合うのか。長く付き合えそうか。それを判断する権利は、こちらにもある。

一人に執着すると、その視点が消える。全部が「選ばれるかどうか」の話になってしまう。

だから、執着しないことの一番の効用は、たぶん自分が選ぶ側に戻れることだと思っている。