日本一狭いクリニックを作ろうと思ったわけではない。結果としてそうなった、というのが正確なところだ。

天神の駅ビルの中に、10坪ほどのテナントがある。ここでクリニックをやりたいと言い出したとき、当時いっしょに動いていた内科医は、正直かなり無理があると感じたはずだ。彼は50坪規模のクリニックを実際に経営している。経験則からすれば、10坪でクリニックを回すのは正気の沙汰ではない。

それでも話が前に進んだのは、チームに建築のプロがいたからだった。藝大の建築学科を出た宮下が「クリニックにとって本質的な機能にフォーカスして、開発中のシステムを駆使したらどうか」「実現可能性は本当にゼロなのか」「たとえばこういう設計ならどうか」と、議論をエンジニアリングの問題に落とし込んでくれた。

無理だ、で終わる会話が、条件を洗い出す会話に変わった。この差は決定的だった。

面積の半分を占めているもの

10坪でクリニックを成立させるうえで、最大のポイントは一つだった。

待合室を広く用意する必要がない、という判断だ。

多くのクリニックでは、待合室が全体面積の半分近くを占める。50坪あるクリニックでも、20坪ほどが待合室ということが普通にある。それだけ待合室は、クリニックにおいて重い意味を持ってきた。

でも僕は最初から疑っていた。待合室は本当に必要なのか、と。

駅ナカのクリニックで、比較的軽い症状で受診する場合を考える。利用目的はおそらく「サクッと受診してサクッと薬をもらう」「サクッと受診してサクッとワクチンを打ってもらう」あたりだ。

だとすれば、必要なタイミングで呼んでくれさえすれば、待つ場所は院内である必要がない。最寄りのドトールやミスタードーナツでお茶をするほうが、あるいはビル内で買い物をするほうが、よほど有意義な時間の使い方だ。フードコートの呼び出しシステムをイメージしてもらえばいい。

待ち時間そのものをゼロにするのは難しい。でも、待ち時間を「奪われた時間」から「自分の時間」に変えることはできる。この発想の転換が、10坪という制約と噛み合った。

保健所に通う

ただし、待合室を完全になくすことについては、保健所からNGが出た。

これは非常に重要な学びだった。医療機関の開設許認可に関わるのは保健所だ。だから僕らは、できるだけ足を運んだ。激狭クリニックを開設するうえでの懸念事項を一つずつ相談し、潰していった。

一次情報を自分で取りに行くこと。これは何をやるうえでも効く。ネットに書いてある「たぶんダメ」も、専門家が言う「普通は無理」も、担当部署に聞けば「その条件ならいける」に変わることがある。逆に、いけると思っていたことが明確にダメだとわかれば、早く設計をやり直せる。どちらに転んでも得だ。

もう一つ、交渉で状況が変わったことがある。テナントの背面にビルの機械室があり、当初は「機械室への導線を確保してほしい」と依頼されていた。これがあると使えるスペースが大きく削られる。

そこで、機械室をビル管理スタッフが使うのは稀で、定期的に発生するものでもない、必要なときに必要なアクセスができれば足りるのではないか、という話をした。結果、専用導線は不要という判断をいただき、スペースを目一杯使う設計へと舵を切ることができた。

さらに工事の過程で、事前に知らされていなかった給水配管の梁が床から出ていることが発覚した。図面変更と保健所への再確認が必要な大問題で、工期は1週間延びた。ただ、出っ張った部分の床面積を賃料面積から除くなどの契約変更を行い、結果的に使用可能面積は当初より数㎡広い34㎡になった。

トラブルが、少しだけ得に転んだ。それでも相変わらず、日本最小クラスであることに変わりはない。

ガラス張りにするかどうか

設計を担当してくれたカン・ミレさんが出した答えの一つが、待合室が外から見える素通しのガラスを使う、というものだった。狭さを感じさせないためだ。

これには反対意見が出た。受診者に心理的な不安を与えるのではないか、と。もっともな指摘だ。

議論を重ねた結果、素通しのガラスは使いつつ、目隠しと心理的な安らぎを兼ねてグリーンを配することにした。手入れのしやすさを考えてフェイクグリーンにしたが、すぐには本物と区別がつかないくらい精巧なものだ。ファサードに大きな木の扉を使うことでも、小ささの印象を消している。

診察室の上も当初は素通しのガラスにする予定だったが、竣工後に僕の判断で磨りガラス様のステッカーを貼った。明るさは確保しつつ、外からは見えにくくするためだ。設計図の上での正解と、実際に立ってみたときの正解は、たまに違う。

ちなみに、木のドアを開けると出てくるロゴの「O」の文字の中に、関係者の名前が仕込んである。隠れミッキーのようなものだ。よく見ないとわからない。

狭さを機能で埋める

待合室には、特徴的な設備が二つある。

一つはマスキングスピーカー。診察室の会話が外に漏れ聞こえないようにするためのものだ。10坪の中に診察室と待合室が同居する以上、プライバシーは設備で担保するしかない。選定にあたっては、わざわざ東京まで出向いてデモを受けた。

もう一つは、次の受診者を呼び出すためのプロジェクター。医師がボタンを押すと、待合室の壁に番号と矢印が点滅して診察室に入るよう促す。当初は別の開発中の製品を使う予定だったが、マニュアルがなく手探りになったため、同時並行でテストしていた市販のプロジェクターを採用した。表示方法については、アルバイトのメンバーが試行錯誤を繰り返して詰めてくれた。

呼び出しの札もなく、名前を呼ぶ音声もない。狭いからこそ、そうするしかなかった。

制約は、設計を鋭くする

振り返ると、10坪という制約がなければ、僕らは「待合室は本当に必要か」という問いをここまで真剣に考えなかったと思う。

広ければ、とりあえず広い待合室を作っていた。ソファを並べて、雑誌を置いて、それで満足していたはずだ。そして待ち時間の問題は、たぶん今も手つかずだった。

制約は敵ではない。制約は、何が本質かを強制的に問うてくる装置だ。日本一狭いクリニックは、そのことを毎日教えてくれる。