医学部にいこうと思ったキッカケ

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この記事は非常にプライベートな過去の話にすぎないので、僕に興味のある方以外は特に読む必要のない記事だと思います。ご注意ください。
世の中には、医師が30万人ほどいるみたいです。
その中にはなんとなく医師になった人や、高い志を持って医師になった人など様々です。ここでは、僕がなぜ医師になったのか、振り返ります。
 

中学生

医師を志したキッカケは、さかのぼること中学生の頃です。
当時、生まれ育った実家を出て寮生活をしていた僕の世界は非常に狭いものでした。九州の山奥にその寮はありました。最寄りのコンビニに行くには外出届を提出しないといけないような途方もない田舎で、九州各地から集った同世代男子との日々は悶々としていました。
たまに、大学受験の模試を受ける機会がありました。志望決めて書かなくてはなりません。そこで、多くの人たちは、理数系が得意だと医学部を志望し、文系科目が得意だと法学部を志望する。そんなことをやっていました。大した理由などなく、なんとなくで決まっていました。
そして、どこの大学かも決めねばならなかったのですが、当時テニスにハマっていた僕はスポーツ医学が有名らしいとそそのかされ、筑波大学を選びました。
適当に決めた志望大学と志望学部だったこともあって、実は、その後も何度か志望校は揺れました。獣医がカッコいいと思ったときは北海道大学獣医学部を志望しましたし、ナノサイエンスがホットだと思ったときは東京工業大学が面白いと考えました。
そんな適当な気持ちで決めたり、移ろう興味に流されながらも、なんとなく医学部にいこうかなぁという気持ちをもって過ごしていたことを覚えています。
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もう亡くなってしまいましたが、心臓手術を経験した祖父がいました。今となっては心臓手術それ自体に心が動くことはないかもしれませんが、幼い自分にはとても大きな出来事でした。心臓を切ったり縫ったりするだなんて、死ぬんじゃないのか?と思ったものです。
記憶にある限り、祖父は、盆栽や狩猟、投網漁、鯉や鳥獣飼育などが趣味で、いつも何かに取り組んでいました。そんな祖父を見るたびに「心臓手術したのにスゲーいろんなことやってるな〜。死にかけても、生きていて、動ければ、好きなことできて幸せそうだな~」と思っていました。
やりたいことや夢があることは素晴らしいとよく聞きます。
たしかに、素晴らしいのかもしれませんが、それもこれも、健康な身体があってこそのもので、健康ってめちゃくちゃ大事なものでは、、、?!
90歳を超えても、自分のことは自分でやれて、多趣味で好きなことをやり続けた祖父の姿が健康で身体が動きさえすればずっと好きなことやれるし、いい人生だというインパクトを僕に与えてくれたのです。
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このような背景もあって、医師になりたいという思いを持つことはなかったのですが、医療のフィールドで人々の健康にかかわる仕事をしていくのは面白そうという気持ちが自分の中で芽生えました。
 

(雑な)まとめ

人はやりたいことや夢を持ってても、健康がないとがんばることは難しい
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つまり、健康はすべてにおいて原資となるもので重要
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今に限らず、未来においても健康の重要度は高く、不変。仕事を選ぶなら、医療のフィールドにしよう
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医療の仕事といえば、医師免許とか取ってたらよさそうでは?医療のこともいろいろと学べそう
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医学部目指す
このような流れでした。だいぶおおざっぱですね。
 

大学受験

高校時代それなりに勉強をしていたものの、1回目の受験はうまくいかず浪人することになりました。1年という短い時間ではありましたが、自分の進路についてあらためて考えなおすことができました。
当時の僕は、東大に志望校を変えてさらにモラトリアムを作るか(東大は学部が決まるのが入学後)、やっぱり医学部にいくかで悩んでいました。明光義塾という個別指導の塾でアルバイトをしたり、海釣りを始めてみたり、色々と勉強以外のことをやってみるなどしましたが、今となっては無駄なあがき。
転機は夏に訪れました。
実際に働いている人と話してみようと思って参加したビジネス系の異業種交流会で、ある産業医の先生と出会いました。そもそも、当時の僕は産業医という仕事をあまり知りませんでした。そんな僕に彼は医師免許があれば様々な仕事をすることができることを教えてくれました。例えば、官僚(厚労省の医系技官、倍率は2倍くらい)になることもできるし、McKinseyなどコンサルにいく人もいるし、医師免許を保険に起業してビジネスに取り組む人もいるというような話でした。臨床医やせいぜい研究医しか知らない自分の世界がなんと狭いものかと痛感しました。
18歳の自分には、ある意味衝撃的な出来事でした。医師免許が、人生の選択肢を増やしてくれるし、何かをやりたいときの保険にもなり得る非常に有用なツールなのだと認識を新たにしました。
よし、医師免許をとろう。
その後、縁あって、筑波大学に入学することになりました。今振り返ると、結局まわりまわって、戻ってきたのだとわかります。
まさに connecting dotsですね(浅い締め)。