医療の再定義が求められている

ユーザーエクスペリエンス

大学を卒業し、医師として働いてみると、学生時代から10年近く過ごしてきたIT業界、スタートアップ界隈のカルチャーとは全く違うカルチャーに戸惑いました。ITの世界では、UX(ユーザーエクスペリエンス)の重要性が当たり前に叫ばれ、どの組織もいかにUXを改善していくかにエネルギーを注いでいました。一方、医療の世界では、見かけ上の「患者ファースト」は掲げられていたものの、実態は、「医師第一」がまかり通っていました。
長い年月をかけて、診療報酬は下がってきたと言われています。一昔前の内科クリニックは、1日10〜15人くらい見ておけば損益分岐点を超えていたのだそうです。一方、現在の診療報酬下では、1日30人程度を見てはじめて損益分岐点を超えると言われます。
医療機関が簡単に儲かった時代はとっくに終わりました。
その結果、「経営効率化!」の号令の下、採算のとれない診療科を削ったり、高い医師の人件費を無駄なく使うため、医師を1秒でも休ませずに働かせつつ、できるだけサービス残業をさせるやりがい搾取などが当たり前になってきました。医師を無駄なく働かせようと努力すると、現場で発生するアイドルタイムは患者に割り当てるしかなくなります。その結果、医師は待ち時間なしで働き続け、患者側は大量の待ち時間を消化せねばならなくなりました。これが、多くの医療機関で発生する待ち時間の背景だと思います。

医療DX?

自分がこれまでに働いてきたITの世界では、ユーザー体験をとにかく重視してプロダクトの改善を図ってきましたが、医療業界はまったく違うロジックが働いていたわけです。多くの患者は不幸なユーザー体験を我慢しています。
本当にこれでいいのでしょうか?
経営効率改善とはいうものの、もっとできることはあるのではないでしょうか?
近年、DX(デジタルトランスフォーメーション)というバズワードが世間を賑わしています。DXと比較される単語にデジタル化という言葉がありますが、DXとデジタル化は全く違う概念です。
医療現場はどうでしょうか。電子カルテで作成した同意書を印刷し、患者に渡し、ペンでサインをしてもらったら、それをスキャナーで読み取るようなことを行っています。誰がどう考えてもDXからは程遠い世界です。DXという観点からみると、そもそも医療業界はスタートラインにすら立てていないことがわかります。

患者目線での不思議

医療現場は、働けば働くほど疑問符が次から次へ頭に浮かびます。そもそも、医療は、なぜこんなにも複雑怪奇なのか理解に苦しみます。
患者としては、どのクリニックへ行ったらいいか容易に判断できません。どこへ行くか決めたとしても、クリニックにたどり着いたあとは、受付、問診、検査、診察、会計の流れがあり、どのステップもよく遅延します。ようやくクリニックで会計が終わったとしても、処方箋をもらえば、薬局へ行く必要があります。薬局に着いて、処方箋を渡し、なぜ受診したかの説明を行い、調剤を待ち、薬の説明などを聞き、薬の受け取りが終わればやっと家に帰ることができます。
医療従事者の立場からみると、初めてやってくる患者に対し、直近の検査データを参照することもできないまま、仕方なく、(もしかしたら行う必要のないかもしれない)検査を再び行います。減りゆく診療報酬へ目を向ければ、1人の患者へ使うことのできる時間は限られるため、慌ただしい気持ちで1日を過ごすことになります。
このような現状から考えるに、患者、医療従事者、双方で省くことのできる時間は非常に多いはずです。
時間を省くことに診療を簡素化しようという意図はありません。本当に必要なことに時間を集中的に費やしましょうということです。無駄の排除をしても、本質的に重要なことは残せます。

患者は病院の中にいない

病院の外に目を向けたとき、多くの人々は医療機関にいないことに気が付きます。医療機関の中にいるのは、何か困っている人であって、それ以外の大抵の人は医療機関の外にいるというわけです。今は医療が必要ない「外の人」も、明日には医療が必要になるかもしれません。本人が自覚していないだけで、実は今が医療の必要な状態である可能性もあります。そのような目で考えてみると、医療機関にかかっていない人であっても、医療の介入が必要な状態であれば、それが察知でき、適切な医療介入がなされることが望ましいのかもしれません。

テクノロジー発展の歴史

テクノロジーのこれまでを振り返ると、インターネットの発展を背景に、スマートフォンの普及が起こりました。ほとんどの人の手元にはインターネットに即座に繋がるデバイスがあり、自分の感覚や能力を拡張してくれています。スマートフォンの普及後は、IoTが当たり前となり、あらゆるモノがインターネットに繋がる時代となりました。人々、そして、あらゆるモノがインターネットにつながることで、膨大なデータが集積されています。このデータは、Deep Learningや機械学習といった技術発展と相まって、パターン認識および分析・解析に用いられるようになりました。コンピューターの高性能化や低価格化、通信技術の発展により、これら大量のデータを適切に扱えるようになりました。機械は、人々が予測もしないところで解決策を見つけたり、新たな視点を見つけることができます。人間が行わなくていい仕事を、機械がスピーディーに処理するようになることは明らかです。
これからのテクノロジーにおけるキーワードとして、知性の外部化、感覚と能力の拡張、分散化、所有から共有へということが言われています。この視点から医療を眺めると、医療情報の分散化や医療資源の共有などいくつかの視点が見えてきます。

医療の再定義

テクノロジーの発展過程や起こりうる未来へ目を向けたとき、今の医療は再定義されるべきだと考えられます。インターネットがなかった時代から、症状があると受診し、診療を受けて帰るという流れは変わっていません。僕が小学生の頃を振り返ってみても、ほとんど同じフローです。
今後医療が向かう先をイメージしたとき、今のままの医療が続くことは誰も想像できないと思います。でも、そんな状態が数十年も続いているわけです。
そもそも、今の医療は他の多くのものと同様、オフラインが前提で構築されたシステムになっています。しかし、今後、オフラインはオンラインに包含され、次第に、オフラインとオンラインの境界線は曖昧に溶けてなくなっていきます。
スマートフォンは身体拡張の役割を果たしていると表現されます。身体拡張どころか、スマートフォンの中にプライベートドクターが常にいて、見守ってくれていたら、素敵ではないでしょうか。インターネット、スマートフォン、IoTのなかった時代には取得することのできなかった些細なデータがすべて自動的に記録され、医師は患者の意見を汲み取りながらも、最適な選択肢を決定できるようになるかもしれません。
これまでは、医療機関へ直接来てもらい、診察を行い、情報を取得するしかありませんでした。しかし今後は、病気の発症や病気の進行を食い止めるために、病院の外で取得されたデータが利用できるようになるかもしれません。そのためには、生体データや日常の健康データ(検診、健診など)の取得を行い、的確なタイミングで容態変化や病状予測ができるような仕組みが必要です。

医療体験、診療体験

患者目線でいえば医療体験、医療従事者目線でいえば診療体験、これらを再考すべきタイミングが訪れていると思います。
医療機関へ出かけなくても健康が守られ、必要なとき、適切なタイミングで受診ができる。あらゆる場所が、これまで医療機関の中でしか取得できなかった「健康情報」の取得機会になるはずです。あらゆる場所が、医療機関の中でいうところの「診察室」と化すわけです。
日本は、世界トップクラスの長寿国でありながら、人口減の長い坂道を下り始めました。戦争や感染症で多くの人が亡くなっていた時代から、少子高齢化社会としての人口減を迎えています。死が見えてきた人にとってはできるだけ最後まで健康でいられるように、そして、働き盛りの世代にとっては将来の健康面の不安が最小化できるような取り組みが求められています。どこにいても自分のすぐそばに最高で最適なプライベートドクターがいるような未来があれば、きっと、健康上の不安を感じることなく日々過ごせるのではないでしょうか。