夢とは渇望だ。

バス車内でおじいさんがリズムを刻む街、NYからこんにちは。

こちらの動画は、先日僕が偶然発見し、その様子を捉えたものになります。
どうぞ最後までご覧ください。20秒で終わります。

さて、冗談はおいといて、今回もともと行く予定はなかったのですが、LAで3泊してきました。
気候は気持ちよく、Santa Monicaのあたりは景色も夕焼けもとてもきれいで良かったです。


約4週間前、日本からNYまでの機内で1冊の本を読みました。
「宇宙を目指して海を渡る」という本で、書評などは他に任せるとして、ストレートにとても感動しました。

チャンスがあれば著者の小野さんに会いたいと思ったのですが、facebookで調べてみると共通の友人が何人もいました。
そこで、友人に紹介を頼んだところ、会うことを承諾して頂けたので、NYから飛ぶことにしました。

完全にノリで4,000kmもの距離を飛んで行った僕ですが、LA在住の古い友人らに助けられながら、Jet Propulsion Laboratory (JPL)まで無事にたどり着きました。

実際にお会いした小野さんは、本のままのストレートな方でした。

夢を追うことなど、東大やMITに行くような「秀才」だけに許された贅沢だと思われるだろうか。だが、生まれながらの秀才などいなかろう。巨木も盆栽も同じ大きさの種から生まれるように、頭がいいとか悪いとか、英語が得意だとか不得意だとか、何の才能があるかどうかとかは、先天的な要素よりも、後天的な要素のほうが格段に大きいと思う。数学や英語の勉強がしんどいのは僕だって同じだった。受験勉強を頑張れたのは、ただ単純に大学で宇宙について学びたかったからだった。留学後の苦労は大変なものだったが、なんとかそれを乗り越えられたのは、MITで生き残り、卒業し、そして将来NASAで宇宙開発をするためのチャンスを掴みたかったからだった。夢とはつまり渇望だ。たとえば砂漠で三日間水を飲めなかった人間が、オアシスを目指して必死に歩くようなものだ。僕もそうやって歩いてきた。そしてまだ歩き続けている。

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…どうすれば夢を見つけられるのか。夢とは渇望だ。例えば、あなたが砂漠で迷い、灼熱の中、三日間一滴も水を飲めなかった状態を想像してほしい。あなたは心の底からコップ一杯の水を欲しがるだろう。それが夢だ。夢とは生理的に渇望するものだ。断たれたときに死ぬほど苦痛を覚えるものだ。その点において、「夢」と「選択肢」は根本的に異なる。だから、無数の光の中からどれを目指すべきか迷った時、こう考えればよい。断たれた時に最も辛いものはどれか、と。僕にとってはそれが宇宙だった。

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だれしも、夢を持たなくてはならない、かと言えばそうだとは思いません。
衣食住、最低限何不自由なく生きることができれば、人生最後の日を満足して目を閉じることができる、という人もいると思います。

去年と今年と、祖父が2人共逝ってしまってから、僕は死についてそれまでよりも考えるようになりました。
だれでも知っている「人は必ず死ぬ」ということをより一層突きつけられたように感じました。

生きることの意味を求めるのは自然なことだと思うようになりました。
欲を言えば、死んだ後、何かが残ることを望むのも自然なことなのかもしれません。

生き甲斐や人生の意義を見つけそれらを達成することで、人生最後の日を満足して目を閉じることができるのだと小野さんは言います。

…仰々しいことだけが人の生き甲斐ではない。僕の母は結婚以来ずっと専業主婦だった。ある時ふと、彼女の生き甲斐は僕と妹だったと漏らしたことがあった。何の裏表もない、素直な言葉だった。僕は言いようのない感動と感謝の念を覚えた。歴史に名を残すのを生き甲斐とすることと、我が子の成長を生き甲斐とすることに、尊卑も優劣もない。実際、それは大した差ではないと思う。母も僕もスカリーも、そしてさまざまな人が持つ多種多様な生き甲斐も、生理的欲求や物質的欲求ではなく、精神的欲求を満たすことにある点で一致している。人は生き甲斐を求める生き物だ。「太った豚よりも痩せたソクラテス」になりたい生き物なのだ。

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なぜ、小野さんの本に強い感動を覚えたのか、今でも、正直、うまく説明はできませんが、
比較的平和だったここ数年に比べると、今年は、春から色々なことが起きては過ぎていったので、僕の中で小さからぬ心境の変化等があったのかもしれません。

海外で医師として働く先生方にお会いするなど、自分の「選択肢」を広げる方法については蓄えが増していくものの、それらは直接自分の生き甲斐とは関係しません。

選択肢はあくまで自分の生き甲斐を達成するための複数ある道筋の一つに過ぎず、それらを目的にしていては、結局、生き甲斐に達しないのだと思うからです。

もちろん、生き甲斐など考えるだけ無駄だという人もいると思いますし、それらについては僕はどうこう思いません。
ただ、少なくとも僕は、自身の存在意義については、考え、求め続けていくべきだと考えます。

タイミングがよかったこともあり、自分が人生において何を成したいか知っていて、それに向かって日々頑張り続けている小野さんと、短くとも同じ時間を過ごせたのはとても貴重なことでした。

お忙しい中お時間を取ってくださった小野さん、そして、紹介してくれた友人のTくんには、心から感謝しています。ありがとうございました。


さて、3年くらい前に、Film Schoolで学ぶため渡米した友人と今回LAで会うことができました(ざっくり言うと、Film Schoolは、映画監督の卵とか、映画/映像ビジネスに関係する学びを得るための大学院です)。

ちょうどいい(?)タイミングだったのか、彼の家に滞在中、来週日本に帰国する彼のフェアウェルBBQが開催されたので、お邪魔してきました。

全員初対面なので「きみはだれ?」と毎度聞かれるわけですが、
『彼の大学時代からの友人で今回フェアウェルのためにNYから飛んできました』
と自己紹介して、とりあえず、笑われてきました(≠ 笑わせる)。

映画の本場Hollywoodで最前線の映画ビジネスに関わっている方々、そして、その卵たるFilm School生たちがほとんどの会で、とても刺激的でした。

彼らもまた、それぞれの生き甲斐に向かうパワーを感じさせてくれるのでした。
畑違いの仕事をやめ、今は映画について学んでいる人、等々。

どこまでも青く、そして、過ごしやすいあのカリフォルニアの気候の下、小野さんと同じように「砂漠の中でのコップ一杯の水」を追い求めている方々からもエネルギーをもらい、そして、僕は今日NYに帰ってきました。

あと数日で、長かったアメリカ生活を終え、帰国します。

NYでお世話になった方々、LAでお世話になった方々、多くの人々に助けられて過ごせた1ヶ月でした。
本当にありがとうございました。